いじめの未来を考える

若すぎる命たちが鳴らした重すぎる警鐘を聴く時

いじめ論「深刻ないじめの話をしよう」

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1.「いじめ」とは

 

「いじめ」の定義

 

口々に多用される「いじめ」という言葉。

 

被害者たちの自殺には「いじめ」が原因と言われ、マスコミもそう報じてきましたが、果たして「いじめ」の定義とは何でしょうか?

 

様々ないじめ関連の記事からその定義を読み取ってみると、

 

児童が生徒に行う軽度から重度までの悪事の総称

 

となると思います。

 

ですが、この定義は深刻な誤用なのです。

 

その根拠は膨大な事例の中から二つ選び出せば明らかです。

 

  1. 福島から他県へ避難した児童に対し「菌」と侮辱するなどの行為があった。社会は「原発いじめ」と呼称した

     

  2. 大津市で自殺した生徒は集団暴行や金品の要求、自殺の練習などを受けていた。社会は「いじめ自殺」と呼称した

 

誰もが受けたくない凄惨な内容ですが、果たしてこれらは本当に「いじめ」なのでしょうか?

 

先に定義した「児童が生徒に行う軽度から重度までの悪事の総称」には当てはまっていると思いますが、大変重要なことが抜け落ちております。

 

  1. 「菌」と呼称することは侮辱や人権侵害

     

  2. 集団暴行は傷害、金品の要求をすることは恐喝

 

つまり、犯罪です。

 

 

いじめと犯罪の分離

 

しかし、社会はこれらの犯罪を「いじめ」の中に押し込めております。

 

これは非常に危惧すべきことではないでしょうか。

 

殴っても、金を奪っても「いじめ」。

 

葛西りまさんの事件では、青森県警が加害者たちを侮辱と名誉毀損の非行で児童相談所へ通告しました。

 

深刻な誤用を犯しているのは報道機関だけではありません。

 

文部科学省もです。

 

少し前に、2016年度のいじめ件数は323808件と発表しました。

 

世間はその数の多さに驚き、問題視しましたが、さらに問題視すべきなのは、

 

政府機関が犯罪を「いじめ」に含めている

 

ことです。

 

少年犯罪という言葉があり、殺人などが起きれば犯罪と呼ばれ、少年法が叫ばれますが、暴行や恐喝では悪質ないじめ止まり。

 

被害者が自殺をしても「いじめ自殺」。

 

誤った呼称が本質を歪曲しているのです。

 

それでは改めて「いじめ」の定義を考えてみましょう。

 

逆算して考えると、

 

犯罪に該当しにくい嫌がらせ。無視や仲間はずれなど

 

と定義できると思います。

 

つまり、私たちは、

 

いじめと犯罪を分離しなければならない

 

のです。

 

 

「いじめ自殺」の残虐性

 

「いじめ」を苦に自殺したとされる児童たちがいます。

 

彼ら、彼女らは「いじめ自殺者」と呼ばれました。

 

その顛末を調べると、無視や仲間はずれといった「いじめ」を受けていた児童もいたことに間違いありません。

 

ですが、やはり前述した通り「いじめ」から逸脱している行為、すなわち犯罪が散見されるのです。

 

  • 大津中2男子→暴行や強要

     

  • 中島菜保子さん→侮辱

     

  • 葛西りまさん→侮辱

     

  • 加古川中2女子→侮辱

     

  • 広島中3女子→侮辱

 

改めてこう見ると、学校はおろか、社会さえも「侮辱」をあまり問題視せず、心的暴行という認識が極めて弱いといえるでしょう。

 

しかし、

 

侮辱で多くの児童が自殺した

 

これは重く受け止めるべき事実です。

 

おそらく、心の傷は目に見えないので軽視されているのだと思われます。

 

なので、私は数字を使ってその残虐さを示していきたいと思います。

 

 

暴行の積の傷害

 

中島菜保子さんらは侮辱という犯罪を受けていましたが、相手は一人ではありません。

 

また、一日の話でもありません。

 

集団で、日常的に、長期間、受けていたのです。

 

この侮辱の残虐性は掛け算をすれば分かります。

 

2(人)×2(回)×2(日)=8

 

2で統一しても8に膨れ上がりますが、もっと現実的な数字にすると、

 

3(人)×5(回)×100(日)=1500

 

となり、暴力性が肥大化したのが分かるかと思います。

 

そして実例の被害日数は100日を軽く越えています。

 

一年以上、執拗に繰り返されているケースばかり。

 

被害者は何千回も嫌な思いをした

 

これで「死ぬな」という方が無理なほど暴力の嵐が凄まじいことが分かります。

 

「侮辱は犯罪である」と先に言いましたが、これで納得して良いものではなく、

 

  1. 集団

     

  2. 日常的

     

  3. 長期間

     

らが組み合わされ、

 

掛け算の積によって人を自殺させるほどの凶器になっている

 

ことを理解しなければならないのです。

 

侮辱という心的暴行は掛け算の積によって傷害になっている

 

ここを問題視しなければなりません。

 

 

「いじめ自殺者」は犯罪被害者

 

葛西りまさんらは「いじめ自殺者」として扱われ、また広く認知されております。

 

ですが、この言葉には「自己決断」という意味が含まれ、「いじめなんかで死んだ」という矮小的な見方も少なからず含まれているように思えます。

 

ですが、「侮辱の積の傷害」を踏まえれば、犯罪被害者であることは一目瞭然です。

 

「いじめ」という無視や仲間はずれに苦しみましたが、自殺の動機は集団侮辱や名誉毀損という犯罪苦。

 

このことを重く受けとめ、認識を改めなければ社会で「いじめ」が許されていくばかりです。

 

 

自殺の引き金は

 

いじめと犯罪に苦しんでいた児童たち。

 

ですが、この段階では何とか懸命に生きております。

 

ならば崖っぷちまで追い込まれた児童たちを自死行為に至らしめるものは何か。

 

突き落とすのは誰か。

 

それは学校です。

 

中島菜保子さんのケースでは少なくとも友人が教師に報告をしていますし、クラスメイトたちも担任は気づいていたと感じていたそうです。

 

また、葛西りまさん、加古川中2女子、広島中3女子らは学校へ何度も相談をし、学校側も認知をしていましたが、いじめとして扱われず、改善されませんでした。

 

児童らはいじめ(犯罪含む)を解決してくれるのは学校だと信じております。

 

ですが、それが成されなかった時、児童らは何を思うでしょうか。

 

  1. 「いじめは無くならない」という絶望

     

  2. 「卒業まで耐えられない」という計算

     

  3. 「死ぬしか逃れられない」という結論

     

すなわち、学校が引き金となって自殺に至っているのです。

 

 

2.いじめ対処法

 

自殺者の共通点

 

児童たちは、

 

学校に相談をしていた

 

登校をしていた

 

しかし、

 

①’いじめは解決しなかった

 

②’登校から逃れるために自殺を選んでしまった

 

ここから分かることは、

 

①”学校はいじめを解決できない

 

②”学校から逃れる方法は他にもある

 

ということです。

 

 

黙認するケースも

 

愛知県桐生市

 

  1. 小学五年生の女児が「ばい菌」「臭い」「汚い」などの侮辱行為を受け、上履きに「死ね」と書かれる凄惨ないじめを受ける

     

  2. しかし、担任や校長に相談してもロクに何もしてくれず、六年生に上がってからは一人で給食を食べることとなる事態になる

     

  3. 2010年、いじめが減る気配は無く、母親にプレゼントする予定であった手編みのマフラーで自ら首をつって自殺する

     

 

広島県広島市

 

  1. 女子児童は小学校の時から侮辱を受ける

     

  2. 五日市観音中学校に入学しても頻繁に行われる

     

  3. 中学二年時には加害者の人数が十数人に増える

     

  4. 児童と両親は学校に相談するも学校は「いじり」や「からかい」と捉え「いじめ」として扱わず

     

  5. 中学三年生の7月まで続き、女子生徒が校舎から飛び降りる

     

これらのケースを見ると、いじめは学校に相談しても解決しないどころか、

 

黙認される

 

ケースまでもあります。

 

現在、いじめに悩んでいる方とその保護者の方はこれらのことをしっかりと頭に入れ、二の舞いにならぬよう気をつけて欲しいと思います。

 

 

学校と教育委員会を信用してはいけない

 

中島菜保子さんの件で顕著ですが、通常、いじめ問題は学校から市の教育委員会に報告が行くようになっています。

 

ですが、ここ数年でいじめ自殺が疑われた14件のうち、学校や教育委員会がいじめを認めず、その後の第三者委員会の調査でいじめが認められたのが5件に及びます。

 

  1. 2013111日 神奈川県相模原市の中学二年生がいじめを苦に自殺

     

  2. 20131114日 福岡県太宰府市の高校三年生山口勲大さんが暴行などを苦に自殺

     

  3. 201418日 長崎県新上五島町の中学三年生松竹景虎さんが悪口などを苦に自殺

     

  4. 2014531日 岩手県滝沢市の中学二年生が暴行と物隠しを苦に自殺

     

  5. 201474日 青森県八戸市の高校二年生大森七海さんがLINEで中傷と無視を苦に自殺

     

つまり、第三者調査委員会がいなければ、臭いものには蓋して闇に葬られたのです。

 

ですが、この第三者調査委員会も信用できたものではありません。

 

市の教育委員会と繋がっているからです。

 

中島菜保子さんの事件では、ご遺族が「提供したいじめの証拠(日記やメモ、独自に集めた証言等)に基づく聞き取りをしていない」として第三者委員会の解散を要請しました。

 

葛西りまさんの事件では、いじめを認めるも自殺の動機は「思春期うつ」としました。

 

 

犯罪は警察へ

 

①”学校はいじめを解決できない

 

上記で書きましたが、それは深刻ないじめのほとんどが犯罪であるからです。

 

学校は教育機関であり、警察機関でも、司法機関でもありません。

 

つまり、逮捕もできず、刑罰も下せません。

 

すなわち、犯罪を解決する力と更生させる力がないのです。

 

校内は無法地帯であり、暴行と侮辱はやりたい放題という有様。

 

傷害や死亡とならなければまず大ごとになりません。

 

発覚したばかりの悲惨な例を挙げます。

 

 

神奈川県茅ヶ崎市

 

 ・20182月、神奈川県茅ヶ崎市立小学校で小学4年生の男子児童が同級生からのいじめで二年間不登校になっていたことが発覚

 

 ・当時の担任の女性教諭は、

 

 ・「いじめと認識していたが、『遊びの延長線だ』と思い込むことで、いじめを見て見ぬふりをしていた』

 

 ・「同級生たちが一方的に叩く、蹴る、追い掛けることをしていたが、だんだん注意するのが面倒になった」

 

 と話す。

 

 ・男子生徒は、

 

 ・「何度も助けてと大声で言ったが、一回も助けてくれなかった」

 

 ・と話し、現在は心的外傷後ストレス障害PTSD)の療養中

 

 ・茅ヶ崎市教育委員会は担任を訓告処分、校長を厳重注意にした

 

 

報道や担任は「いじめ」と称してますが、

 

これは暴行や傷害です。

 

なのに警察に通報せず放置した。

 

葛西りまさんの事件では死後に青森県警が加害者らを侮辱と名誉毀損児童相談所に通告しましたが、亡くなってからでは遅いのです。

 

中島菜保子さん、加古川2女子、広島中3女子らは侮辱と名誉毀損という犯罪を苦に自殺をしました。

 

暴行を受けた児童は学校に報告や相談をせず、校内からでも良いので通報しましょう。

 

電話ができなければ、直ぐに学校から帰宅し保護者と一緒に警察署へ行きましょう。

 

侮辱も同様です。

 

そして、解決するまでの間は登校しないようにして下さい。

 

若すぎる故人たちが社会に鳴らした警鐘を聽かなければなりません。

 

 

耐えてはいけない

 

稀に「耐えろ」と無知なことをいう人がいます。

 

また、耐え抜けば晴れて自由の身だと勘違いをしている児童や保護者もおられます。

 

ですが、耐えた先にあるのは深刻な症状です。

 

前述した心的外傷後ストレス障害PTSD)、そしていじめ後遺症。

 

この二つはほぼ同じものだと考えて下さい。

 

いじめ(実際は犯罪)によって心的外傷を負い、トラウマに苦しむということ。

 

ベトナム戦争イラク戦争の生存者はPTSDに苦しみ、人格さえも変わり、自殺者は少なくありません。

 

ホロコーストの生存者も同様です。

 

いじめ後遺症による自殺者も存在し、時間が経っているという理由で裁判では認められないという理不尽まで起こっております。

 

足に何度も暴行を受けたら骨が変形し、歩行に障害が生まれますが、心も同じです。

 

目に見えないだけであり、だからこそ心の暴力は軽視されています。

 

侮辱を受け続けたら心が変形し、気分や対人関係に障害が生まれます。

 

心の変形は手で触れられる身体とは違い治療が容易ではありません。

 

また、擦り傷や打撲のように自然治癒もしません。

 

文科省2016年度のいじめ件数は323808件と発表しましたが、言い換えれば毎年多くの児童が心的外傷を負い、自然治癒しないままに至っております。

 

そして、いじめの疑いで14人が自殺したと見られています。

 

13~15年ではいじめが原因で自殺したと認められているのは23件。

 

実際にはもっと多いと見て間違いありません。

 

暴行や侮辱やを受けたら早急に警察へ行き、不登校を選ぶ。

 

即断してメンタルヘルスを守らねばなりません。

 

 

いじめの場合は

 

もし、受けているのが犯罪ではなく、いじめ(犯罪に該当しにくい仲間はずれや無視)を苦にしている場合。

 

その場合は学校や市町村区の教育委員会ではなく、そのお上の都道府県の教育委員会文部科学省に相談をして下さい。

 

学校と市町村区の教育委員会が共謀して隠蔽した事例が数多くあるので、問題はそれより上に把握させなければなりません。

 

それで解決しなければ、転校をしましょう。

 

学校とは学びに行くところであり、嫌な思いをしに行くところではありません。

 

もし、近くに学校がない不便な土地ならば自宅学習を選びましょう。

 

本来、被害者が転校するのはおかしなこと。

 

けれども、学校という教育機関がすでにおかしいのです。

 

あてにして何人の児童が自殺に追い込まれたかを考えましょう。

 

 

3.社会からいじめを無くすには

 

上記では現在の被害者がすべきいじめの対処について書きました。

 

ですが、根本を直さなければ全国のいじめは減らず、これからも自殺者が生まれるばかりです。

 

私はいじめ問題の根治については大きく分けると二つの対策が必要だと考えており、一つは「いじめ教育」です。

 

 

いじめ教育

 

例えば、加害者らは「いじめ」と犯罪の区別がついておらず、無自覚のまま侮辱や暴行や金銭の要求をしている可能性があります。

 

もし、バレたとしても教師に怒られる程度のことだと甘く見ているでしょう。

 

ですが、これらは合法ではなく犯罪であり、子どもであっても警察が動き、児童相談所に通告されます。

 

いじめ(犯罪)を無くすには、小学校の道徳の時間に犯罪の是非を教えるべきであり、それが急務な事態であると思います。

 

弁護士が児童向けに書いた法律の教科書を使い、年に一回は全校集会で弁護士に講演をしてもらう。

 

いじめ自殺の歴史を教えることも必須です。

 

被害者の人生や言葉、生前の写真やいじめの顛末、そしてご遺族の声や苦しむ姿を教科書に掲載し、視聴覚室で動画を見せる。

 

それくらいしなければ、この末期的な問題は沈静化しないのではないでしょうか。

 

 

警察と連携

 

そして、いじめ問題の根治の二つ目は「警察と連携」です。

 

学校、教育委員会文部科学省がいじめと犯罪を分けて考え、暴行などの非親告罪ならば生徒の代わりに通報し、侮辱などの親告罪ならば生徒に選択肢を提示。

 

先のいじめ教育が実施されているならば、加害者生徒には犯罪の自覚があるのでこれは妥当であると言えます。

 

 

罪名で言う

 

いじめと犯罪を分離をするということは、「いじめ」という呼称を止め、暴行や傷害という的確なワードを呼ぶということです。

 

先に挙げた茅ヶ崎市の児童は壮絶な暴行の末に不登校に追いやられ、PTSDに苦しんでいるといいます。

 

マスコミは一斉に「いじめ」ニュースとして取り上げ、「いじめ」を連呼しましたが、第三者までも歪曲に加担してどうするのでしょうか。

 

国民一人ひとりがここを的確に呼ばなければ、いじめの中に犯罪が隠され続けるままです。

 

「暴行」「傷害」「侮辱」「名誉毀損」「人権侵害」etc.

 

「いじめ」と言う誤った呼称を変え、問題を肥大化させ、国民の認識を改めさせる必要があります。

 

 

新しい呼称を

 

中島菜保子さんらが受けた集団×日常×長期による侮辱。

 

多重的な心的暴行。

 

すなわち、心的傷害です。

 

現行では、該当するとすれば傷害罪のようですが、

 

心的傷害罪

 

という新しい罪名が必要である気がしてなりません。

 

大人でも恐くてできない自殺という行為を数多の小中学生が行い、亡くなっているという事実を重く受け止めて欲しいと思います。

 

となると、故人たちの名誉のためにも「いじめ自殺」という呼称は改めなければならないと思います。

 

代替として、

 

心的傷害致死自殺、または、侮辱致死自殺

 

が妥当であると思われ、故人たちは、

 

心的傷害致死自殺者、または、侮辱致死自殺者

 

と呼ぶべきだと私は思います。

 

 

4.問題の元凶は

 

ここで浮かび上がるのは、

 

なぜ学校は犯罪行為を警察に通報せず、無法地帯となっているのか

 

ということです。

 

これはあくまで私が考えたことですが、問題を遡り続けた結果、行き着いたのは教育委員会による警察のシャットアウトの歴史です。

 

では、なぜそのようなことが可能であったのか?

 

昔は大卒が少なかった時代。

 

教師は庶民からしたら身近なお偉いさんでした。

 

深刻な暴行があっても有無を言わせぬほど権力があり、ひれ伏すしかなかった。

 

体罰だ」と言われればその通りになり、当時の親は「先生を怒らせたらいけない」と子どもに言ったことでしょう。

 

長い年月で膿が溜まり、体質が形成された。

 

私が親から聞いた話や古典文学を読むとそう思われます。

 

しかし、現在は大卒が当たり前の時代。

 

徐々に権威が失われ、教師に意見を言う親が増加しました。

 

モンスターペアレントという理不尽な要求をする親が生まれたのもこの弊害でしょう。

 

現在でも教育委員会による軽い処分の数々が残っているのは当時の風習だけが存続しているのかと思われます。

 

 

体罰と暴行の分離

 

ですが、いつまでもこれらを許すわけにはいきません。

 

教師の暴行=体罰、と総じて括られておりますが、まずこれが誤りであると言いたいと思います。

 

体罰と報じられた事件の動機を読むと「イラついた」と私情が明らかになっておりますが、そうなると体罰ではなく暴行となります。

 

体罰とは「注意しても従わずイラついて暴行」ではなく、「更生を願って暴行」のことを言います。

 

状況としましては、生徒が同級生を殴ったり、侮辱したりしているのを見て、痛みを分からせるために殴るといったことです。

 

教育基本法で禁止されているのはこちらです。

 

ですが、報じられるのは「指導が上手く行かず殴った」と教師自身の怒りの問題ばかりです。

 

これは暴行であり犯罪。

 

このことをよく頭に入れておきましょう。

 

 

歪曲と隠蔽

 

話を元に戻すと、教育委員会は教師の暴行を体罰に歪曲し、犯罪を隠蔽してきました。

 

骨折を負わせても(傷害)そのスタンスには変わりありません。

 

膿と体質はただの犯罪擁護。

 

昔から積み重ねられてきた悪しき慣習からでしょうが、このようなことを認めるわけにはいきません。

 

もしかしたら、本当に暴行と体罰の違いさえも分かっておられないのかもしれませんが、そうだとしたら今すぐ教育から身を引いたほうが良いでしょう。

 

素人に払うほど税金はあまり余っておりません。

 

論より証拠、教育委員会が暴行(傷害)を体罰に歪曲し、犯罪を隠蔽している例を見ていきましょう。

 

最近の中から二つ挙げます。

 

 

20173月、福岡県立高校男性教師

 

  1. 書道の授業中、顔に墨汁で落書きをしていた男子生徒

  2. 教師は4回ほど顔を洗ってくるように注意

  3. 生徒は指示に従わず

  4. 教師は水の入ったペットボトルを投げつける

  5. 生徒は顔を洗いに行く

  6. 教師は追いかけて太ももを蹴り、さらに頬を平手打ち

  7. 顎の骨を骨折

  8. 全治三ヶ月

  9. 教育委員会は減給三ヶ月処分を下す

 

 

201710月、岩手県立高校の男性教師

 

  1. 顧問の教師が指示した練習メニューを生徒が守らなかったとして

  2. 3人の生徒の頬を1回ずつ平手打ち

  3. 「今後、このようなことがあったらぶっ殺す」と脅す

  4. 内、1人の鼓膜が破れる

  5. 約1カ月通院

  6. 教諭は顧問を解任

  7. 現在も同じ高校に勤務

  8. 岩手県教育委員会は停職2カ月の懲戒処分を下す

  9. 同校の校長は訓告処分

 

 

見ての通りどちらも傷害ですが、①減給三ヶ月、②停職二ヶ月という甘い処分ですませ、警察に告発をしておりません。

 

あくまで「体罰」なので犯罪ではない

 

ということです。

 

 

校内は無法地帯

 

では、指導に従った生徒を教師が追いかけ、太ももを蹴り、さらに頬平手打ち。

 

  1. 追いかける時点で指導外

     

  2. 生徒は指導に従っているので蹴りは個人的な暴行

     

  3. 蹴りでは収まらず顎を折るほどの力で殴るのは傷害

     

というように、分かりやすい犯罪だと思います。

 

教師が暴行で警察沙汰になったケースは学校が通報したのではなく、児童の親が警察へ行っているのです。

 

言い換えれば、児童の親が警察に相談しなければ、暴行だけでなく傷害までも「体罰」という文句が当てはめられ、犯罪を不適切な指導に歪曲されます。

 

権威ある教師による暴行を体罰とされ続けた結果、無法地帯が生まれた。

 

それが容認され続けた結果、児童の「いじめ」までも成長した。

 

おそらく、靴隠し程度の「いじめ」しか無かったものが、ある時から暴行が加わった。

 

けれども、校内は無法地帯、いや「校内に犯罪なんて無い」という誤った固定観念により、暴行や侮辱までも「いじめ」に歪曲され続けた。

 

教師による暴行は体罰

 

傷害でも体罰

 

そして、生徒による暴行や侮辱も「いじめ」

 

その結果、加害者は犯罪がやりたい放題となり、学校は「いじめ」として扱い、警察ではないので解決できず、被害者は自殺しか逃げ道がないところまで追い詰められた。

 

というのが私の結論です。

 

 

膿を出すには

 

 

20174月、茨城県板東市立小学校の男性教諭が同僚の職員を盗撮し停職六ヶ月。

 

20178月、千葉県千葉市若葉区の市立小学校の女性教諭がスーパーで計54点に及ぶ28千円相当の商品を万引きし停職六ヶ月。

 

 

ご覧の通り、教師が盗撮と窃盗という悪質な犯罪を犯しておりますが、懲戒免職になっておりません。

 

「いじめ自殺」の後に、教育委員会の隠蔽体質が問題視されましたが、このような事件を持ち出さなくても毎週毎週、教育委員会の甘い処分が報じられ露呈してきたのです。

 

しかし、国民はそれに異を唱えず容認してきた。

 

教師に権威が無くなった現代でもそれは変わらず。

 

その結果、膿が抜けず、体質が変わらず。

 

教育委員会を更生させなかったのは、容認してきた国民なのです。

 

そうなると、国民は今後教育委員会が教師の犯罪に対し甘い処分を下したならば懲戒免職にするよう批判を寄せるべきといえます。

 

また、教育委員会が教師の暴行を体罰に歪曲しようとしたら、「犯罪を隠蔽するな」と叫び、警察に告発するよう要請しなければなりません。

 

その結果、教育委員会の体質が変わり、教師の暴行を告発するようになった後、生徒間の暴行や侮辱に対しても警察を利用できるようになると私は考えております。

 

国民の批判→教育委員会の改善→体罰が犯罪に→無法地帯が改善→いじめと犯罪が分離

 

となることを切に願います。

 

 

5.一番の元凶は

 

大卒が少なかった昔に教師の権威が生まれた。

 

独裁政権のように暴力までも正当化され、庶民は有無が言えなかった。

 

しかし、現代は国民の大卒がスタンダードになり、教師の権威が低下。

 

けれども、教育委員会の下す甘い処分は容認したまま。

 

暴行だけでなく傷害までも体罰とされることにも異を唱えず。

 

結果、生徒の暴行や侮辱が「いじめ」にされた。

 

すなわち、「いじめ自殺者」と呼ばれる子たちの命を奪ったのは、遡れば国民だと言えます。

 

前述した通り、2010年に桐生市の小学生が自殺をしました。

 

翌年には大津市で中学生が亡くなり、その結果、文科省が変わり、2013年に「いじめ防止対策推進法」が出来ました。

 

しかし、いじめ件数は減らず、自殺者は増加。

 

児童はおろか、学校や教育委員会さえも変わりませんでした。

 

そして、その他である私たち国民も変わっていないのです。

 

相も変わらず学校や教育委員会文部科学省に任せ、怠惰を許しているからこその結果です。

 

怠惰とはもうお分かりでしょうが、警察の未介入です。

 

十年以上前からいじめだけでなく、犯罪を苦にした児童自殺者が生まれているにも関わらず、それに対して国民は「いじめ」という言葉に丸め込まれ、警察と司法の介入を訴えてこれなかった。

 

結果、無法地帯の児童たちが犯罪行為に苦しみ、犯罪に何もできない学校を頼り、絶望して自殺を選ぶ。

 

この繰り返しを生み出してきた。

 

児童らは国民が殺したようなものです。

 

教育委員会を変えなければ解決しませんが、そのためにはまず国民が変わらないといけません。

 

傍観していても惰性の教育委員会は変わりません。

 

暴行を体罰にすり替えることを許さず、犯罪だと叫び、警察に告発するように要請しなければなりません。

 

遠回りですが、それが「いじめ」問題解決の糸口だと私は考えております。

 

教師の暴行が犯罪になり、続けて、児童の「いじめ」が犯罪になる。

 

体罰と犯罪の分離、いじめと犯罪の分離。

 

そして、分離された犯罪を警察が取り締まる。

 

私はこう考えます。